マウンテンハードウェアアスリート 九州クライミングトリップ

新年が明けたばかりで世の中にはまだ正月ムードが漂う中、一宮大介と野村英司は冷たい風が吹き荒ぶ岩場にいた。ザイルを固く結び、今にも崩れてしまいそうな、脆く冷たい花崗岩のマルチピッチを慎重に登っていく。
関西を拠点とし、普段はもっぱらボルダリングをメインに取り組む2人。だが、今回は一宮の地元・九州で公開されたばかりの新たなマルチ、トラッドのルートに挑戦すべく、仲間と共に宮崎県の高千穂へとクライミングトリップにやってきたのだ。

そもそも、この旅はとあるトポ(クライミング用のガイドブック)の発売に端を発している。
「昨年、僕の地元からも近い宮崎県・高千穂の比叡山にある『エンドウォール』というトラッドエリアのトポが出ると耳にしてモチベーションが湧き、ノムちゃんに『一緒にどう?』って声をかけたのがきっかけでした。力試しじゃないけど、関西圏以外の新しいところに行きたいよな、という流れでツアーを組みました」

「大ちゃんとは、このエリアの開拓初期の頃、ボルダーエリアに一緒に行ったことがあります。その時に、アプローチ途中にすごく大きな岩山があった記憶が残っていた。今回トポが世に出て、あの岩山にマルチのルートがあるらしいとわかって盛り上がったんですよ」
比叡山エリアとは、高千穂から流れ出る綱の瀬川を挟み、両岸に岩壁が点在する花崗岩メインの渓谷。マルチルートの存在も昔から知られてはいたものの、地元を中心に一部の限られたクライマーだけが取り組んでいた程度で、九州出身の一宮もマルチのルート自体を見にいくのは今回が初めてだと言う。

外岩がおもしろいのは「登るだけでは終わらない」から

そんな今回のトリップ初日は、トラブルから始まった。ホスト役の一宮が、なんと旅の道先案内とでも言うべきトポを持ってこなかったのである!
「頼んだのが年末だったので、出発までに手元に届かなかったんですよ…。まあ、届くまでは道沿いから見つけたスラブにトライしてみたり、ネットを漁って見つけた3ピッチほどのマルチを登ってみたり。難易度云々よりも、誰とどう登ったかって結構大事で、楽しい時間でした」

2人は結果が分かりきった旅に出るよりも、仲間といろいろなことを試しながらトラブルを乗り越えたり、少ない情報を現場で集めながら解像度を高めていく旅の方が好きだと口を揃える。
「2つ目に登ったワイドクラックも、結局、思っていたのとは違う課題を登ってたんですよ。だけど、僕はこうした探り探りの冒険的なアドベンチャー感のある旅が好き。初めにここを登った人は、どんな感じで登ったのかなと想像したり。情報が少ないといろいろと考えなきゃいけないのが、逆に成長に繋がるような気がします」と、野村もトラブルを思い返して笑う。

こうした外岩を登るのおもしろさは、ジムのそれとは全くの別物だと一宮は言う。
「ジムって、なにも考えなくていい。ルールを守るってことくらいです。その点、外岩はリスクマネージメントだったり、キャンプで過ごすための生活面だったり、岩登り以外に考えなきゃならないことが多い。取り付きまでどうアプローチをどうするのか、どのくらいの荷物を背負っていくか。そうした岩場に至るまでや道具選択の駆け引きの要素も含めて、外岩はおもしろい」

ボルダリングの場合は、マットと靴とチョークさえあれば成り立ってしまうが、マルチ、トラッドになる必然的に道具が多くなる。できるだけ軽くしたいが削れないものもあったり、さらにキャンプを張るとなると、寝食に必要なギアも増える。
「海外になると、道具選びはなおさらシビアです。僕も大ちゃんたちとのトリップを通じて、いろいろなことに応用の効く道具を持つようになりました。旅に出るとクライミングを通して様々なことを吸収できる。例えば、トポには細かいアプローチルートって書いていないことが多いんですよ。なんとなく、こっちの方に行けばあるよくらいの大雑把な情報なので、信じて突き進む力みたいなものも養われます」

旅の核心部はエンドウォールのメイン課題「デンティスト」

今回の旅でどこを登るかは、「現場で岩を眺めて、これ登りたい!のノリで決めた」という自由なスタイル。では、数ある中から、2人はどのような基準で登りたいルートを選んでいるのだろうか。

「僕とノムちゃんの好みは細かく言うと違うんですけど、2人とも綺麗なルートが好き。例えば岩にクラックが1本走っていて、余計なものがない感じ。ここだけだなって思える、目に優しい、しかもいかついのが好き。グレードではないんです」
「僕も見るからにこのライン、っていうか印象的なやつが好きですね。無駄がないというか、洗練されているルートに登りたい」

ツアー開始から5日目。そんな彼らのお眼鏡に適ったのが、虫歯岩と呼ばれる岩塔にあるルート「デンティスト」だ。散策していた時に目に留まったと言うそのルートは、エンドウォールエリアのメイン課題になる2ピッチの美しいマルチルートである。

登ることに決めた初日は、メンバー全員で軽く近くの課題を触って終わり、翌日からトライをスタート。全員が1ピッチ目を登り切り、2ピッチ目をトライした一宮はオンサイトトライで完登を果たした。しかし、野村は惜しくも完登に至らず、下山となる。
3日目も再トライするものの、下部のハングパートを超えて、立ち上がって高度を上げていくクラックフェイスを順調に進むも、最後のフェイス面でパンプしてフォールしてしまう。

「3年振りにトラッドを登ったこともあって、そこそこハードに感じてて。ここでメンバーを待たせてもと考えてしまい、しょんぼりしていたんです。そしたら、大ちゃんが『行っとけ!』って声をかけてくれて決心がつきました」
「みんなに気を使って悩んでるのがわかったので、お尻を叩きました。1便目を見て、あとは自分を信じるだけだろうという確信があった」という言葉通り、再挑戦した野村はクラックの切れ目からホールドを確実に押さえ、マントルを返して見事完登。先に登り切っていたメンバーと岩の上で喜びを分かち合った。

一宮から野村への檄は、長年、一緒に登っている関係性があってこそのものだろう。
「あの声のおかげで登れたのは間違いない。いろいろと考えてしまう前に、シンプルに『この岩のトップに立ちたい』って思いだけで登ればいい。そんなクライミングの楽しさを再認識させてもらった経験でした」

比叡山には手付かずのポテンシャルがまだまだ潜んでいる

「ノムちゃんは、クライミングについてくる諸々を全て楽しもうとしている。グレードを追っかける楽しさももちろん知ってるけど、それだけじゃないのがいいところ」
「大ちゃんは、ストイックかつシャープにクライミングを考えている。夢を形にしたり、グレードを達成したり、掴み取ることに対してはすごくストイックでパワフルだけど、うちに秘めた部分はすごくシャープにやりたいことを考えてると思います」

クライマーとして、そして仲間として、2人はお互いをこう評する。まったく異なるタイプのようだが、逆にそこが一緒に旅をするのに居心地の良い関係性に繋がっているようだ。
クライミングトリップとは、ストイックに課題を突き詰め続ける旅と考えられがちだが、何日間もキャンプをして寝食を共にしたり、レスト日には近くの観光地を訪ねたり、夜遅くまで焚き火を囲んでクライミング談義に花を咲かせたりと、じつは岩登り以外の要素も大きい。その点、比叡山エリアは近くに名所が点在し、温泉や海も近く遊びも充実しており、旅としても楽しめる絶好のデスティネーションだ。

「僕は地元に近いこともあって、シンプルにこの高千穂という土地が好き。岩場に関して言うと、結構、岩が繊細なところがいいですね。例えば、今にももげそうなでっかいツララみたいな岩があったりして、闇雲にホールドを引こうとすると壊れてしまう可能性があるので、最小限の力で登ることが求められる。そうした駆け引きがおもしろかった」
「寒かったから下山後に温泉に入れるのも最高でした。発表されている以外にも、これからルートはどんどん増えていくんだろうな、と思いながら登っていました」

今回チェックしたエンドウォールは、川を挟んでどちらかというと傾斜が緩い方のエリア。対岸のより傾斜がきつい方のエリアには、まだ全然手つかずの、かなり高グレードを付けられそうな岩がまだまだ眠っているそうだ。
そのポテンシャルを垣間見た2人にとって、比叡山はこの先、何度も再訪する場所になるかもしれない。

一宮 大介
1993年、大分県生まれ。
2009年にクライミングを始め、外岩とコンペの双方で結果を残す。近年は外岩にフォーカスし、17年は宮崎・比叡山の「ホライゾン」(V15)を小山田大、白石阿島に次いで完登。また、同年9月にはアメリカ・コロラドの「Creature from the Black Lagoon」を登頂し、V16課題を初めて完登したアジア人としてピオレドールアジアにノミネートされた。
野村 英司
海外のボルダーやマルチクライミング、クラックなど幅広い分野で活躍する若手クライマー。ハイボルを得意とし、2015年には、アメリカのビショップにて日本人初のグランドアップで Evilution Direct V11 ハイボルを完登する。また、同年夏に南アフリカのロックランズShosholoza V12 日本人第二登、Hole in one V11 第二登を成し遂げている。