Ancient Trail Revival

道普請

Ancient Trail Revival

幻の古道の再生を目指す1人のトレイルランナー

山岳修験の一大聖地として、古くから信仰を集めてきた和歌山県・熊野三山。
紀伊山地に点在する3つの霊場を結ぶ参詣道「熊野古道」は、
世界遺産にも登録されている日本有数のトレイルである。
しかし、世界遺産には登録されず、歴史から忘れ去られてきた巡礼路がある。
その道の名は「奥辺路」。この幻の古道を再生しようと活動しているのが、
今回の主役、トレイルランナー・中川政寿だ。
彼が着目した日本古来の道との付き合い方「道普請(みちぶしん)」とは。
そして、再生の先に見据える未来とは。

PROFILE
MASATOSHI NAKAGAWA
TRAIL RUNNER

中川 政寿/10年前に移住した和歌山・龍神村を拠点に、トレイルランナー、珈琲ロースター、さつまいも農家と3足のわらじを履く。"自分達の遊ぶフィールドは自分達の手で整える"をコンセプトに、奥辺路のトレイル整備を主導。トレイルを観光資源と考えたネイチャーツアーも企画する。

幻の熊野古道・奥辺路

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 静謐な空気が流れる深い森。神々が舞い降りた伝説の残る巨岩。落差日本一の滝。自然崇拝に根ざした山岳修験の舞台として、熊野三山が世界遺産に登録されたのは、今から20年前のこと。以来、熊野本宮大社、熊野速玉大社、熊野那智大社から成る熊野三山を結ぶ参詣道「熊野古道」には、人と自然が長い年月をかけて育んできた文化的景観が色濃く残る遺産として、国内外から多くの人々が訪れるようになった。
 熊野古道とは中辺路、大辺路、小辺路と、3つの参詣道の総称であることは広く知られている。しかし、じつは熊野古道には「奥辺路」という、高野山から熊野本宮大社に至るもう1つの参詣道が存在することを知るものは少ない。
「世界遺産登録から外れたところにも、大きな祠があったり、古くから歩かれてきた道が張り巡らされていたりと、歴史的に重要なポイントはいくつもある。奥辺路に関しても、弘法大師や空海をはじめとする多くの修験者に使われてきた由緒ある道です」と教えてくれたのは、マウンテンハードウェア・アスリートの中川政寿さん。
 彼が暮らす龍神村は、奥辺路が通る熊野の山村の1つだ。人口はわずか2,800人。1300年の歴史を持つ温泉、全国各地から太公望が集う清流に囲まれた秘境である。熊野は非常に雨が多い地域で、土が流れやすく、土砂崩れが起きやすい。そこで人々は、昔から土や水の流出を抑えるために、生活との調和を図りながら、里を守るための森作りをしてきた。
「熊野古道が世界遺産に選ばれた理由である“文化的景観”とは、その地域ならではの自然と人とが折り合いをつけて暮らしている風景のこと。龍神村と奥辺路も、フィールドに広がる豊かな自然と、その中に暮らす人々が調和することで育んできた文化的景観こそが財産なのです」

道普請とは

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 奥辺路は世界遺産に登録されなかった代わりに、道を保つためならば地域住民が自ら手を入れられるという大きなメリットがある。中川さんは幻の古道を再生するにあたり、「道普請」という日本古来の道との付き合い方を提唱するようになった。
「普請」とは、普く(あまねく)人々に請う、つまり多くの人に手伝ってもらう、という言葉。社会基盤を地域住民の手で自ら作り、協力して維持していくことを指し、古くは道路や水路作りに加え、農作物の収穫や大掃除など、地域で協力して行う作業全般を意味していた。中川さんの唱える道普請とは、いわばその現代版だ。
「昔から山で遊ぶ中で、台風や雪解け時期にトレイルが崩れていくのを何度も目の当たりにしていました。以前住んでいた京都には、ハイカー達が自らトレイルを整備している団体があり、僕もそこに参加して自分達のフィールドを自分達で整えられる喜びを体験してきた。龍神村でも同じように、自分達が遊ばせてもらうためのフィールドは自分達で整えるコミュニティを作れれば、という思いを強く持ち始めたんです」
 道路やトンネルの整備が進み、古道は現代人の生活には必要がなくなってしまったかもしれない。しかし、ランナーやハイカーにとっては、今も重要な遊び場になっている。そのことに気がついた彼が目指すのは、地域住民だけでなく、龍神村に遊びに訪れるビジターを巻き込むことで「道普請」を継続していく仕組み作り。日本国内では、フィールドの変化を環境問題として取り上げる人はいても、トレイル整備自体にまでアクションを起こす人は非常に稀だ。さらに、ローカルとビジターが協力して継続的にトレイル整備を行っている団体は、ほとんど前例がないという。
「一緒にトレイルを整備していく過程で、フィールドを楽しむ人と地域に暮らしている人が自然と繋がっていく。これが奥辺路の目指すべき、道普請の形なんじゃないでしょうか。奥辺路は、いわば自ら作ることができる熊野古道。僕らは『奥辺路プロジェクト』と称して、このトレイル整備体験を使ったエコツーリズムを形にしようと考えています」

トレイルランナー・中川政寿

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 トレードマークの長髪をなびかせ、今日も熊野の山々を縦横無尽に駆け回る中川さん。奥辺路プロジェクトの中心的な役割を担う彼が龍神村に移住したのは、今から10年前に遡る。元々は温泉がある山奥に移住したいと考えていた時期に、熊野古道を歩きがてら村に住む友人を訪ねたことがきっかけだった。
「たまたま立ち寄ったカフェで紹介された物件を、軽いノリで覗きに行ったんです。そこで今住んでいる家に出会ってしまった。玄関のすぐ横に登山口があって、『玄関を開けたら、すぐに山に登れるやん!』と気に入ってしまい、勢いで仮契約をしてしまいました」
 現在は、トレイルランナーとしてツアーやイベントを開催することに加え、休耕田を活用したさつまいも農家、そして村の名を冠した珈琲ロースターと3つの生業を生活の軸に据えている。
 龍神村には、弘法大師が夢に現れた竜王のお告げで拓いたと伝えられる龍神温泉があり、長年、知る人ぞ知る山中の秘湯として人気を博してきた。しかし、コロナ禍を境に観光客が減少し、過疎高齢化も進む今、村は大きな岐路に立たされている。そんな状況を打開する観光事業の起爆剤として、村人の一人が隣町に残されていた古い文献から掘り起こしてきたのが、「幻の熊野古道・奥辺路」だった。
「惚れ込んだフィールドのそばで暮らし続けるために必要なものは、ここで暮らし続けたいと思えるモチベーションです。当初はこのフィールドと共に生きていけたらと思っていたけれど、だんだん自分の能力や活動をどうやって地域のために活かせるかを考えるようになりました。龍神村と奥辺路の財産である文化的景観を、生活の軸にしている3足のわらじを使ってブランド化して広めること。移住から10年経った今、これが僕の暮らしの真ん中にあるモチベーションです」

自分達の遊ぶフィールドは自分達で整える

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「みなさん、あそこからここまで登ってくるには、どう道をつければいいと思いますか。まずは、みんなで考えてみましょう」
 ランナーと地元住民が集まり、奥辺路のトレイル整備を体験するイベント初日、作業を始める前に中川さんは参加者たちにこう問いかけた。主催者主導のトレイル整備を手伝うイベントは数多いが、参加者自身が自主的に考えて道を作っていくイベントは珍しい。
「ランナーやハイカーには、道というのは誰かが整備しないと成り立たないことを、まず知ってほしい。そして、できることならば自分達が遊ぶフィールドは自分達で持続可能に保ちたい。そんなフィールドを、ハイカーやランナーと地域の人とが協力して作っていけたらと思っています」
 中川さん自身も登山道整備の重要性に気がつくまで、トレイルランニングを始めてから10年もの長い月日がかかったそう。
「移住前、京都の山を走っていた時に、トレイルを整備している場面にたまたま出会えて、体験させてもらったのは運が良かった。僕もこの重要さを誰かに伝えていきたい。ちなみに、“道普請”という言葉に出会ったのはもっと後になってからですが、みんなで請け負うという平等な考え方は、とても僕に合っている考え方だなあと思いましたね」
 参加者たちは5つのグループに分かれ、何度も森の中を歩き回り、それぞれがベストだと思うルートを検討する。そしてグループごとに考えたルート案をプレゼンし、どこに道をつけるかは、最終的にスタッフと参加者全員による多数決で決める。
「このルート案が一番人気ですね。異議ある人? じゃあ、みんな賛成ってことで拍手!」
案が決まると、道をつけていく作業は驚くほど早い。30人が1時間程度作業をすると、100mほどの走りやすい道がみるみる整っていった。
 奥辺路プロジェクトの道普請では、ブロックなどの人工物は極力使わず、山中にある枝や石を利用して道を整えていく。崩れたらいけないところには石積みをし、その上にまた木を植えて、その根っこで石積みを補強してやる。熊野では何百年も繰り返されてきた道の整え方なのだという。
「人工物で固めてしまうより、草や木が生えていた方が水捌けがいい。それに、また傷んだ時にも直しやすいんです。山奥の道を気持ちよく歩いているときに、人工的な舗装路や階段が突然現れたらテンションが下がるでしょう。それって、自然との折り合いがついていない状態なんです。ちゃんと自然に調和したような形でステップが切ってあったり、道がつけてあれば、まったく気にならないはず。自然に対して謙虚な姿勢で共生するようなバランスを心がけています。トレイルは自然と調和している方が美しいですから」

仲間を呼びたいと思えるトレイル作り

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 イベント2日目は、前日に作ったトレイルの試走を行った。参加者たちは自ら考え、作った古くて新しい道を気持ち良さそうに駆け抜けていく。
「昔から使われてきた古道をベースに、そこで遊びたいランナーたちに整備してもらう。そしたら、きっと道や地域に愛情が湧いてくるでしょう。彼らが仲間を呼びたいと思える魅力的なトレイルを自ら作ることで、人が人を呼んで、この活動の輪が大きくなっていくのではないかと考えています。僕は奥辺路を『みんなで作る道』にしていきたい」
 移住当初、純粋に熊野のフィールドを楽しむことが中川さんのライフスタイルの中心にあったが、村で生活するうちに子供が生まれ、家族や仲間が増えていくにつれ、徐々に地域みんなが中心にあるライフスタイルへと変わってきたそうだ。
「龍神村では、年に一度のお祭りに向けて、おじいちゃんから子供まで地域中の住民が集まって笛の練習をします。だけど、楽譜がないんです。おじいちゃんが吹いた音を、子供たちが見よう見真似で演奏する。みんなで子供たちに伝えて、みんなで子供たちを育てているんです。自分が村のためにできるのは自然の素晴らしさを忘れないように伝えること。奥辺路という美しいトレイルがあることを伝えて、いい形で子供たちに渡してあげたい。子供たちに、一緒に走ろう、気持ちいいから行こうよと言える場所を作る。それが僕の思い描く理想の未来です」
熊野の深い山奥にこれほどまでの文化的景観が保たれてきたのは、長年、それぞれが周囲を思いやり、自分のできることを積み重ねてきたからにほかならない。
「道を作ったら、たくさん走りましょう。こうして皆さんが踏み固めることで、さらに道が固まって土が流れづらくなっていくんです」
 これからのトレイルは、土地に暮らす人、遊びに来る人、どちらかだけでは成り立たない。未来のフィールドは、みんなで作り上げていく。

中川政寿の愛用品

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奥辺路とその他の熊野古道では通る際のルールが異なります。

  • 熊野古道(中辺路、大辺路、小辺路)は徒歩に限られています。
    トレッキングポールを使用する際は先端にゴムキャップをつけてください。
    木を切る、草花を折る等の行為、個人による整備は禁止されています。
  • 奥辺路においても個人によるトレイル整備は認められておりません。

その他にもルールがありますので訪れる際は必ず各自でご確認いただきますようお願いいたします。